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名所・旧跡【塩川町】
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| ■名称 | 古屋敷遺跡(国指定) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町大字大田木字古屋敷地内 | ||||||
| 今から1,500年ほど前の古墳時代中頃の豪族が住んだ居宅跡です。平成8〜10年にかけて発掘調査が実施され、東日本でも最大級の規模を持つ「豪族居館」であることが判明しました。面積50,000uを越す大規模な遺跡で、町西部の田原集落南約300mの小高い丘上にあり、会津盆地の西玄関口に位置しています。確認された豪族居館の内部は、居住・貯蔵・祭祀の各施設に大きく区分され、小高い丘の周囲には区画施設が確認されています。平成12年12月に文化庁より国史跡に指定されました。 | |||||||
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| ■名称 | 別府の一里塚(県指定) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町別府地内 | ||||||
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塩川中学校の北約400mの旧米沢街道沿いにあります。一里塚は街道沿いに一里(約4キロメートル)ごとにその両側に塚を築いて樹木を植え、距離を示す目印としたもので、江戸幕府によって全国に設置されました。この別府の一里塚は、東側が直径14m、高さ2. 8m、西側は直径12m、高さ2. 8m程の規模で、典型的な一里塚の形状を保っています。県の重要文化財に指定されており、近くに説明板が設けられています。 | ||||||
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| ■名称 | 御清水(町指定) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町字清水岸地内 | ||||||
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昔、塩川村西南の日橋川と大塩川の合流地点近くに周囲10間余(18m四方)の泉があって、この泉から塩水が湧き出して日橋川に注いだので、ここから塩川(しおかわ)という地名になったと云われています。浄土宗阿彌陀寺は、この地から北の中町にありますが、塩泉山の山号となり塩泉だったことがうかがわれます。現在は南大橋から西に100m、県道会津坂下・塩川線沿い北側にその名残りをとどめています。大正14年に有志によって町出身の俳人豊島松圃の「わく昔の、月にしつまる清水かな」の句碑が建立されています。説明板が設けられています。 | ||||||
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| ■名称 | 御殿場(町指定) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町御殿場地内 | ||||||
| 元禄5年(1692年)、会津藩主保科三代正容の生母栄寿院尼公の琵琶阿湖遊覧を皮切りに、歴代藩主一家が行楽地とした沼や茅野や丘陵のある自然公園で、御殿場と呼ばれるようになりました。寛政以後は、藩の軍政改革によって御殿場の一部が御鷹野(鷹狩りの場)となり、現在みられるような階段が築かれ、文政9年、八代容敬により第一回の御殿場御鷹野が催されました。 | |||||||
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| ■名称 | 常世原田遺跡(県指定) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町常世地内 | ||||||
| 塩川町の北東部、横道集落の北西約300mの通称クズツカ丘陵と呼ばれる雄国山麓西斜面の扇状地上にあります。昭和14・15、32年に発掘調査が実施され、地表から60〜80センチメートル下に遺物の包含層が広がっていることが判明しました。東西に長い遺跡のうち特に西側の部分は、縄文時代早期(約7,000年前)の純粋な包含層が認められます。出土した土器は、貝殻を使用した文様と底が乳房状の尖った形となる特徴から、常世式土器(とこよしきどき)の標式遺跡となっています。説明板がありますが、見学されるときは耕作物を踏み荒らさないように注意してください。 | |||||||
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| ■名称 | 弾正ヶ原(自由民権運動発祥の地) | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町弾正ヶ原 | ||||||
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明治15年11月28日、生きんがために弾正ヶ原に集結した民権派農民は、理不尽な圧制から開放を求めての訴えでした。自由民権運動発祥の地・弾正ヶ原は、リーダーたちが演説のために上ったケヤキが、今も静かに風に吹かれてたっている。 | ||||||
| 明治15年、福島県令三島通庸の住民の人権を無視した強引な「会津三方道路開削計画」に抗議し、民権派農民が弾正ヶ原に集結しました。時折しも、自由民権運動が全国的に高まりを見せていた時期で、体制側と民権派という対立構図がすでに出来上がっていました。そんな中、計画に反対する民権派の合法的な手続きはことごとく却下られ、民権派の指導的立場だった宇田成一らが不当逮捕されるにいたり、民権派はついに行動に踏み切りました。弾正ヶ原に集会を持った千数百名は、同志の釈放を求めて喜多方署に押し寄せ、抜刀した警官との間で乱闘になり、数名の負傷者を出しました。 | |||||||
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| ■名称 | 竹屋観音 | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町中屋沢字竹屋地内 | ||||||
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鎌倉時代に作られた木造如意輪観音像は、県の重要文化財に指定されています。 | ||||||
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| ■名称 | 大光寺 | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町遠田字谷地中地内 | ||||||
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平安初期の創建で耶麻の高野山と呼ばれた。運慶作の木造千手観音がまつられています。 大光寺は会津三十三観音の1つで会津の婦人達の霊場として今も多くの参拝者が訪れています。 | ||||||
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| ■名称 | 常安寺 | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町大字大田木字塚田地内 | ||||||
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会津仏教の祖・徳一の開基と伝えられています。 天保年間から大正時代まで歌舞伎が上演されていました。 | ||||||
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| ■名称 | 多目的災害設備 身神川排水機場及び塩川町物産館「川番所」 | ||||||
| ■住所地 | 福島県耶麻郡塩川町字東栄町一丁目1-1 | ||||||
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塩川の中心地身神川流域は昔から低平地で、大雨のときなどは日橋川の水位が上昇すると、自然排水されない雨水が住居にあふれ出し、多くの被害をもたらしました。この内水害を防止もしくは軽減する目的で建設されたのが、この身神川排水場です。 本来の役割である排水機能のほかに、ご家族でも楽しめるスペースや、塩川町の物産を展示販売するコーナーなど、一般にも開放された多目的施設になっており、休憩スペースも用意されており、町の観光情報も確認できます。 | ||||||