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- 天王桶のいわれ
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伊達市長岡 〜
昔、昔ナ、建久年間(292〜)の夏、この地方一帯に、とても悪い病がはやり、みんなも困ったんだ。この病にかかると、ひどい熱が出て苦しみ、コロリと死んでしまうという大変恐ろしいものだったんだ。 何せ、医者も薬も少ない頃のことだから、人々はただおろおろするばかりだったんだヨ。
ところで、この辺りに貧しい母と少年が暮らしていたんだが、母がこの悪い病にかかってしまい、日に日に病は悪くなっていくので、少年は困ってしまった。 この上は神さまにお願いするほかはないと思い、三日三晩の断食を誓い、「私の命と引きかえてもよいから、お母さんを助けてください」と、日頃信心していた天王さまに必死のお祈りを続けたそうだヨ。 すると、三日目の夜更けのこと、看病でつかれ、とろとろと眠ってしまった少年の枕元に、髭を生やし、恐ろしい顔をした神さまが現れたんだ。
「これ、少年、おまえが自分の命を縮めてもよいから、母を助けてもらいたいという心は、まことに感心のほかはない。その心に感じ霊薬を授けよう。神社の境内に湧き出している泉を汲んで母に飲ませるがよいぞ」と告げられた。
夢からさめた少年は、大喜びでさっそく小桶をさげ、境内にある泉から水を汲み、母親に飲ませたところ2、3日の中にどんどんと熱は下がり、薄皮をはぐように元気になったというんだ。 少年の母を思うまごころがさっそく神さまに通じたんだナ。
この話が、ぱっと広まると、人々は我も我もと、この泉から水を汲み病人に飲ませたところ、まるで嘘のように治ってしまったんだ。
それで、この泉の水を「銀明水」と名付け、少年が水を汲んだというその小桶を造り、これを「天王桶」として売り出したんだ。 だから天王祭には、手造りのこの桶が人気を呼び、始めは小桶だけだったのが、だんだん大きな洗い桶から振り桶まで造られるようになったんだ。
木造りで、竹の「たが」(輪)のかかった小桶は、子供達の水遊びや、魚釣りの道具となり、いつか花桶にまでなって、親孝行な少年の物語りを今でも伝えているんだとサ。
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